今日は、夫の両親と4人で大阪市立美術館の「天空のアトラス イタリア館の至宝」を鑑賞し、そのあと慶沢園、新世界へと足を運びました。
義母はこのイタリア展を心待ちにしていたようで、作品のひとつひとつに感激していて、その姿がとても印象的でした。
大阪市内在住なのに美術館も慶沢園も初めてだそうで、初めての場所を全身で楽しむ義母が一人いるだけで、全体の空気がふわっと明るくなります。
慶沢園は都会の中心とは思えないほど静かで、鳥のさえずりが響き、美術館の白い洋館も美しく、まさに“都会のオアシス”。
そのあと向かった新世界は、連休最終日とあって観光客で大賑わいでした。
義母の「初めて」に立ち会うという喜び
ランチは、大阪発祥の有名な串カツ店に入ることに。
義母はここも初めてらしく、「観光客みたいやね〜!」と嬉しそうで、本当に少女みたいに無邪気。
私は揚げ物を控えているため、内側が少しザワっとしましたが、「これはランダムウォークだ」と気持ちを切り替えて参加。
動物性を避け、トマト以外の野菜串を全部という変わった注文を通しつつ(笑)、私仕様に場を楽しむことにしました。
その後、通天閣の話になり、私が行ったことないことを知ると「じゃあ通天閣に行こう」と。結局人混みで断念したものの、私はそもそも通天閣に興味がなく、「別にいいか」と思っていたんです。でも、あとで自分の内側を見ると、
「通天閣=たいしたことない」→裏を返すと「綺麗な地域の綺麗な場所が良き」とジャッジしている。
だからこそ「お金も時間ももったいない」→裏を返すと「私はしょうもない体験をする」となぜか決め込んで「損するとわかっているものにお金も時間もかけたくない」
と、勝手に価値を決めつけていたことにハッとしました。
宇宙にこんな宣言をしているから、きっと通天閣にいっても意図どおりの体験をして、もったいなかったと思うことでしょう(笑)
意識のカラクリがわかっていながら、やってしまっているな-💦と。これは私が人生でかなりやってきた “パターン” ですね。
興味がなかったらいい体験ができないと決めつけて、そもそも体験すらしようとしない。
体験してみないと分からない世界があるのに・・・。
今度同じような状況になったら、あえて飛び込んでみようと思いました。
これもまた私のランダムウォークです。
下町の純喫茶で気づかされた「先入観」という壁
その後ディープな商店街の路地を散策していたとき、「純喫茶に入ろう」と提案されました。
普段なら絶対に入らない場所。
でも意図してランダムウォークで入店しました。
普通にゆっくりと過ごして両親と別れた後、デパートに寄ると、なんと純喫茶で出されたカップ&ソーサーが1客6,600円で売られているではありませんか!
「え、この値段のものをあの喫茶店で?」
と驚いた直後、自分の中に“恥ずかしさ”が湧きました。
「大阪人も滅多に行かないディープな下町だから安っぽいはず」
そんなフィルターで物事を見ていた私。
そして、高い値段を見て初めて価値を認めるなんて、なんて上から目線風情だったのでしょう!
あ―恥ずかしい・・・
¥6600のことを義母にLINEしたら、
「お手洗いも綺麗にしてあったし、気持ちが行き届いているお店なんだと思うよ」
と、サラッと返ってきました。
義母は最初からお店を “ちゃんとしたお店” として体験していたんです。
この“楽しむ力”や、人や場所を素直に尊重する姿勢。
それが本当にすごいなぁと感じました。
義母から知った “心の余白” の強さ
ふと思えば、義母はもう70近いのに裸眼で虫歯もなし。
夫と「なんでこんなに健康なんだろう」と話していたら、
「母さんは嫉まないんよね」と言っていました。
・ギブする力が強い
・子ども3人、孫の面倒も積極的にみる
・家事も丁寧で、掃除も隅々まで行き届いている
・義父が出張のときは4時起きで支度をする
・自身の母親の面倒もよく見ている
その根底にあるのは、たぶん「嫉まない」「楽しむ」「人を大事にする」という心の姿勢。
私が勝手に貼っていたラベルや先入観、
“しょうもない” と切り捨てる癖、
避けて通るパターン。
全部、今日の体験を通して浮き彫りになりました。
今日学んだこと
義母は、「自分の欲望に純粋でまっすぐ」だった。
今日もずっと感激したり、混じりっけなく楽しんで、自分を喜ばせてあげていた。
そして、人や場所を丁寧に扱い、勝手なジャッジをしない。
私にはその感覚が欠けていた部分があって、
だからこそ今日の学びは大きかったです。
体験を避けないこと。
フィルターを外すこと。
そして、もっと軽く楽しむこと。
今日は、義母から人生のヒントをもらう一日でした。

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