💡才能のヒント

現実創造-引き寄せの法則-

ふと蘇る記憶

―――― ふと、何かを思い出すことってないでしょうか?

とある方から、才能の見つけ方についてこんなアドバイスを受けました。

「小さい頃、大人に注意されたことは何? それがあなたの才能かもしれない。」

この言葉にそっと背中を押され、記憶を辿ってみたのです。

すると、幼稚園の頃のお遊戯会のシーンが、ふわっと浮かび上がりました。

柔道の演目を選んだ私

当時男勝りだった私は迷わず、柔道着を着用してお遊戯をする演目を選びました。

でも先生から、別の演目に変えられてしまったのです。。。

「女の子は女の子らしく。」

なぜか当時の私はそんな風に受け取ってしまいました。

言葉尻だけで捉えると「注意」されたわけではないけれど、

私はその“訂正”を、「注意された」そのような形で受け取っていたのだと思います。

思考ではなく、感覚を信じる

こうして自然に蘇った記憶は、思考で導き出したものではありません。

「これは注意されたのではないから違う」と、頭で打ち消すのではなく──

心が拾った小さなサインを、大切にしてあげたい。

言葉尻にとらわれず、自分の内側から出てきたものを、

もっとやさしく受け止めていいのだと思います。

50年越しの笑いと俯瞰

ふと気づけば、もう50年近く経っていました。

それでも私は、「勝手に変えられていた」と被害者みたいな気持ちも持っていたことに、
思わず笑ってしまいます。

でも今、俯瞰して思うのです。

先生も、両親の気持ちを考えてのことだったかもしれない。

きっと「かわいい姿を楽しみにしている両親」を思ってのことだったのかも。

そう、先生のことは大好きで、卒園してからも手紙のやり取りをしていたほどで。

今思うと「あの先生が変な意図で変えることは、しないよな」という視点にも立てる。

でもその瞬間は

ただそんなふうに受け取ってしまっていたのだなと。

そう受け取った当時の自分も、先生の立場にも思いを馳せられる今の自分も、

やさしく抱きしめてあげたいなと思います。

自分にオッケーを出す

「自分にオッケーを出す」って、

完璧じゃなくてもいい。

誰かを責めなくてもいい。

もっとイージーモードで生きていい。

そう、自分にそっと許可を出してあげましょう。

私の才能って・・・

じゃあ、ここまで内観してきた上で、結局、私の才能って何だろう?と問いかけてみました。

すると、ふっと浮かんできたのは、私が「LGBT婚」をしているということ。

男の子の演目なのに、なんの迷いもなく手を挙げたあの行動は、性別という枠を超えて、
魂のつながりでパートナーシップを築いた「型にとらわれない感覚」とリンクし、
これこそが、私に宿る才能のひとつかもしれない──そんな気がしています。

破天荒にも見えるかもしれないけれど、枠を超え、新しいカタチを信じて飛び込む勇気。
それが、私自身を生かす力であり、これから誰かの希望にもつながるかもしれない。

まだ言葉にしきれない部分もありますが、
こうして少しずつ、自分の才能を感じ取り、社会とどう結んでいくかを探る旅。
そのプロセスを、これからも楽しんでいきたいと思います。

皆さんも、ふと蘇る記憶から、小さなヒントを受け取ってみてくださいね。

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